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ヴェローナの知られざるシルクの伝統を訪ねて(前編)- ドン・マッツァ・シルク博物館

女性の経済的自立のために始まったヴェローナのシルク産業

訪問日:2019年12月12日

2019年12月、パドヴァにて開催されたイタリア最大のアジア文化イベントに出展した際、会場でお会いした現地大学生の方のご案内で、イタリア・ヴェローナにある、ドン・二コラ・マッツァ・シルク博物館に伺いました。

ドン・マッツァ *1 は、1790年にヴェローナで生まれた司祭で、1814年に聖職に就いてからは、教育や就業の機会を通じて貧しい人々の生活を向上させることに生涯を捧げました。彼の創設した研究・教育機関は、中等学校・高等学校・大学として、現代まで続いています。

今回訪れたシルク博物館は、彼が女性の生活と地位向上を目指して設立した女性研究所の遺構として残されています。

*1:「ドン」とは、今日では主に聖職者一般に対する尊称です。2世紀ほど前までは、男性の貴人・高位聖職者の尊称として使用されていました。

マッツァ司祭は、1820年ごろ、貧しい人々の収入の手段として、絹糸の生産を始めました。それほど元手をかけずに始められるうえ、自宅での生産も可能であったため、絹糸の生産はその後貧しい人々が生計を立てるために最適な産業となりました。

ヴェローナには、こんなことばが伝えられています。

“A San Zen la somenza in sen”

(ヴェローナ方言のことわざ)

「サン・ゼーノあたりでは、種(=蚕の卵)は懐で守る」*2。

*2: かつて、ヴェローナのサン・ゼーノ地区の女性たちは、蚕の卵を無事孵化させるために懐に入れて温めたと言われています。

現代にも鮮やかな色を保つ19世紀のヴェローナ刺繍糸

絹糸は、植物の染料を使用して様々な色に染められ、法衣や刺繍画、貴族の女性向けのレース刺繍、シルクフラワーなどに加工されました。

刺繍糸として使われる場合は、同じ色でもグラデーション効果で立体的に見せるために、多くのトーンの刺繍糸が生産されました。

 

アフリカ奴隷の自立を目指したヴェローナ刺繍

マッツァ司祭は、地元ヴェローナの貧しいイタリア人の地位向上のための活動だけでなく、そのころイタリアに連れて来られていた、アフリカの奴隷解放のための活動も行っていました。

彼は、奴隷の娘たちを将来的にアフリカに帰すために、使用主から買い取り、読み書きを教えたほか、生活に困らないよう刺繍を教えました。博物館には、当時の奴隷の買取記録帳も残されています。その記録によれば、奴隷の子供一人の値段は、当時のお金で鶏1羽ほどだったとのこと。

後日、ニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈されることになる法衣のケープの一部は、このような元奴隷の娘たちの手によるものだと考えられています。

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