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【装束】祈りを込めて締める:「鉢巻き」

1月下旬からは、受験シーズン真っ盛り。受験生は、「ねじり鉢巻き」でこれまでの学習の成果を発揮すべく頑張っていることでしょう。

「ねじり鉢巻き」とは、「頑張る」ことの比喩として使われますが、運動会やお祭り、各種イベントなど、鉢巻き姿を目にする場面は年間を通して意外に多 いものです。現代の鉢巻きには汗止めという実用的な用途もあるものの、気合を入れて頑張る場面で象徴的に使われるようになったのには、どのような理由 があったのでしょうか。

鉢巻きの起源=被り物の固定?

鉢巻きの起源は定かではありませんが、史料としては古墳時代の出土品に鉢巻 きのようなものを巻いた埴輪が見られることから、この頃には何らかの用途に使われていたと考えられています。

平安時代には、非常時に参向する武官や加茂競馬の乗尻(のりじり=騎手)が、抹額 (まっこう)または末額 (もこう)と呼ばれる赤い布で冠の縁を巻いて固定するのに使用していました。

鎌倉時代になると、武士が烏帽子の縁に布を巻き、その上から兜を着けて動いても兜が揺らがないようにしました。兜の頭を覆う部分、もしくは頭部そのものを「鉢」と呼んだことから、この頃から「鉢巻き」の呼称が生まれたと言われています。

古代・中世には、人前で頭髪をあらわにするのは大変恥ずかしいことと考えられていましたから、どんな場面でも冠を落とすわけには行かず、そのために動 きの激しい武官や武士たちにとって鉢巻きは重要な実用アイテムであったのでしょう。また彼らが臨戦態勢に入る際に鉢巻きを使用したことで、気持ちを引 き締める意味合いも出てきたとも考えられます。

神官や平民の鉢巻き

鉢巻きは武士たちの間だけではなく、神官や一般の人々の間でも広く利用されてきました。

神話の世界では、天宇受賣命(あまのうずめ)が天石屋戸(あめのいわと)から天照大神を誘い出す際、ツタを頭に巻いて踊ったという話があり、これが現代の巫女の鉢巻きにつながると言われています。また鹿島神宮など、神職が禊に臨む際、白鉢巻きに白ふんどしを締める習わしが残る神社があります。

歌舞伎や時代劇で、紫の鉢巻きを左の額に結んだ人が出てきたら、この人は病人という意味になります。これを病鉢巻(やまいはちまき)と言い、鉢巻きは抗炎症・解毒・解熱の効能のあると言われるムラサキの根で染められています。紫は高貴な色で邪を払うとも考えられており、病鉢巻きは薬効とともにおまじないでもありました。産婦が鉢巻きを締めるのにも、同じような意味があったと考えられます。

正装やおまじないとしての鉢巻き

日本各地の地域文化での正装やおまじないでも、鉢巻きには特別な意味が見られます。

伊豆諸島では、女性たちが儀式や社寺参詣の際、ヒッシュ(またはアカテヌグイ)と呼ばれる、赤、紫、浅葱(あさぎ=薄い藍色)などに染められた六尺(訳1.8メートル)の布を額に巻いて長く垂らし、正装とする習慣がありました。

琉球王朝では、冠位十二階に相当する制度があり、儀式の際の正装として鉢巻き状の冠が用いられました。沖縄衣装で男性が被る頭巾のような布は、ティーサージと呼ばれる織り物で、かつては男性たちが漁や航海に出る際、姉妹や恋人たちが安全を祈願して織って贈ったものであったそうです。

また、北海道のアイヌ文化でもマタンプシという刺繍の鉢巻きがあり、古くは狩りで山に入る男性のために女性が刺して贈ったものでした。女性たちは刺繍のない長い布を祝儀・不祝儀で結び方を変え、頭に結んで装いました。

このように、鉢巻きは実用品であるとともに、人々が特別な場面で祈りを込めて用いる日本文化に深く根差したものでした。鉢巻きを締めるとなぜか不思議と気合が入るのも、古くからの人々の願いが今に伝わっているからなのかも知れませんね。


▼参考サイト(2020年1月26日参照)

「鉢巻」(コトバンク)
「鉢巻」(Wikipedia)
「鉢巻についての考察」(神社挙式研究会)
「病鉢巻の憂いと色気」(歌舞伎いろは)
「ティーサージ」(沖縄方言辞典)
「マタンプシ」(平取町立二風谷アイヌ文化博物館)

ほか

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