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【植物】「大木」にはなりません:ウド

「独活(ウド)もはや 喰ハれぬ迄の 若葉哉」
(与謝蕪村)

― ウドも早や、食べられなくなるほど若葉が生い茂っているよ。

春から初夏にかけては、山菜がおいしい季節です。灰汁や筋を取ったりと、下処理に時間がかかるものが多いので、なかなか食材として手の出ない方もいらっしゃるかもしれませんが、山菜独特の爽やかな風味や食感など、旬の味としてぜひ楽しみたいものです。

ウドという名の由来

さて、「ウドの大木」として不名誉な表現で知られる「ウド」は、現代の食卓では数少ない日本原産の山菜・野菜です。食用にするのは若い根茎で、これが長ずると2mもの丈高となり、食べられなくなることからこのような表現が生まれましたが、木ではなく、ウコギ科(セリ科の近縁)の多年草です。

かつては洞穴のことも「ウド」と呼んでおり、植物の「ウド」という和名は、長じて葉が生い茂ると中空(うつろ)になることからついたと考えられています。平安時代に書かれた『延喜式』や『本草和名』には、「ウド=宇土、宇都」またはタラノキの仲間であることから「ツチタラ=都知多良、豆知多良)」という記述が見られます。

「独活」という字は漢名から当てられたものですが、これは中国六朝時代の医学者・科学者である陶弘景によれば、茎がまっすぐに伸びて風にも揺られず独立しているさま(「一茎直上して、風に搖られず。故に獨活と曰う」※)から来ているそうです。

※「独活」と呼ばれる植物は多くあり、これはセリ科のハナウドを指しているようです。

生薬としてのウド

中国では古くからウドの根茎や根を乾燥させたものが生薬として活用されています。日本で食されているウドは「九眼独活」と呼ばれ、解熱・鎮痛薬としてかぜやリューマチなどの症状の緩和に使われます。平安時代にはすでに、諸国から納められたウドが、宮中で生薬として使われていたようです。

日本のウド栽培の歴史

全国の山に自生する黄緑色のウドはヤマウドと呼ばれ、スーパーなどで見かける白いウドは日光に当たらないよう、地下で軟白栽培したものです。江戸時代初期に成立した、農書とも言われる軍記物『清良記(せいりょうき)』(1654年頃)や、当時の農業技術をまとめた『農業全書』(1697年)には、ウドの栽培に関する記述があり、17世紀には広く栽培が行われていたことがわかります。

「貴賎皆このみ用ゆるものなれば、都近き所、又諸国の国都など、大邑ある近方にて、山野の余地あらば、多く作り立てゝ市中に出すべし」
(宮崎安貞『農業全書』1697年)

訳:身分の高いものも低いものもみな好んで食すので、都の近くや諸国の国都など、大都市の近くでは、土地に余裕があればたくさん作って街に売るとよい。

同時期に作物についてまとめた『菜譜』(1704年)には、味を良くするために白く育てる軟白栽培についての記述があります。

「根の上にわらゐくたをあつくおほへば、其白茎長くして山より来るにまさる」
(貝原益軒『菜譜』1704年)

訳:根の上に藁を厚く置いて覆えば、白い茎が長くなり山で採れたものより美味しくなる。

現代では北関東や東北がウドの主要産地ですが、東京の吉祥寺あたりはウド栽培発祥の地とも言われています。武蔵野には大きな川がなく稲作に適さなかったので、代わりに商品作物としてのウドが盛んに作られるようになり、香りのよいウドは江戸の人気商品となりました。

美容と健康におすすめのウド

柔らかい春ウドのシーズンもそろそろ終わりですが、晩秋から冬にかけても寒ウドが出回ります。ウドの苦味は抗酸化作用があると言われるクロロゲン酸です。新陳代謝を促進し疲労回復に役立つアスパラギン酸、血圧を下げるカリウムなども豊富に含まれるウド。きんぴらやてんぷら、炊き込みご飯や煮びたしなど用途も広いので、まとめて下ごしらえして、常備菜の一つに加えてみませんか。


▼参考サイト(2021年5月31日参照)

跡見群芳譜 農産譜 「うど」

イー薬草・ドット・コム「うど」

野菜ナビ「うど」

中村学園大学/中村学園大学短期大学部 貝原益軒アーカイブ

実は武蔵野市が発祥の地だった野菜”うど” 恒例の『うど品評会』開催

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