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【食物】天然ものは夏が旬です:『クルマエビ』

朝顔や潮がしら跳ぶ車海老 

水原秋桜子

(訳: アサガオの咲く夏の朝、白波の中にクルマエビが飛び跳ねているよ。)

天ぷらやお寿司、塩焼きなど日本料理に欠かせないクルマエビ。現代では養殖や輸入、冷凍技術の進歩で年中美味しいクルマエビのなかまが食べられますが、本来国産の天然ものの旬は産卵期を迎える夏で、かつては東京湾でもたくさんのクルマエビが採れたことから、夏の季語にもなっています。

「エビ」という名の起源と由来

日本のエビ食の歴史は縄文時代に遡りますが、文献にエビが初めて登場するのは奈良時代の『出雲国風土記』(733年)です。この地誌には、島根・鳥取にまたがる中海の産物として、現代の食卓でもおなじみの「須受枳(スズキ)」「白魚(シラウオ)」「海鼠(ナマコ)」などと並んで「鰝鰕(エビ)」が登場します。ここでのエビの種類は不明ですが、現在でも中海ではクルマエビ科のヨシエビの他にテナガエビなども獲れることから、おそらく当時もこのようなエビが捕獲されていたのでしょう。

さて、「エビ」という和名には確かな起源はないのですが、良く知られているのがブドウの古名である「葡萄(エビ)」の色から来ているという説です。確かに、加熱する前のエビの色はブドウに似た色をしているので一理ありますね。

エビヅル(出典:Wikipedia
加熱前のクルマエビ(提供:PhotoAC

「エビ」に当てられる漢字は、当初は上述の『出雲風土記』にあるように「鰝鰕(エビ)」や中国名と同じ「蝦」が使われていました。「鰝」と「鰕」はともに一文字でエビを表しますが、「鰝」とはイセエビのような大きなエビを指します。

平安時代の漢和辞書『和名類聚抄』(934年)には、日本独特の「海老」という記述が見られます。これを一文字で表すと国字の「蛯」となりますが、いずれもエビをひげを蓄え、背中が丸くなった長老に見立てて長寿を寿ぐ意味があります。今では感覚が異なりますが、中国語の「先生」が「老師」、江戸幕府の最高政務職が「老中」と呼ばれるように、本来「老」には「尊敬される、優れた」という意味があるのです。

長老のようなひげや、甲冑のような甲殻を持ち、加熱すると鮮やかな緋色に変わるエビは、貴族や武士の間で婚礼など祝宴の縁起物として珍重されます。今でも伊勢神宮の神饌としてエビが捧げられますが、これらはイセエビで、長くエビは一部の上流階級のみが味わうことのできる食材でした。

(写真提供:三重フォトギャラリー

江戸時代から庶民の味になったクルマエビ

江戸時代になり、江戸前の海で新鮮な魚介が水揚げされるようになると、エビも広く庶民の味覚として普及していきました。「クルマエビ」という名称は、このころから広まったとされますが、これはクルマエビが丸まったときに、身体の縞が放射線状の車輪に見えるところからつけられたと言われています。

江戸には地方から仕事を求めて出てきた単身男性が多く、彼らは8軒に一つしかかまどのない長屋住まいでした。このように自炊のしづらい環境のなか、屋台文化が花開くことになり、18世紀のはじめ頃には江戸にはすでに7000~8000軒の屋台があったと言われています。屋台の定番は「天ぷら」「そば」「寿司」で、現代に至るまで和食の代表格となっている海老天やエビ入りのかき揚げ、にぎり寿司やちらし寿司もこの時代に生まれます。天ぷらによく利用されたのは、芝浦で多く獲れることから「シバエビ」と呼ばれるようになった小ぶりなエビで、クルマエビはお寿司での利用が多かったようです。

現代のクルマエビの産地

現代の日本のエビの消費量の90%を賄うのは外国産のエビです。「伊勢」の名がつくイセエビですらニュージーランド産が多く、クルマエビ科のブラックタイガーやパナメイエビは東南アジアやインドから輸入されています。国産のクルマエビのほとんどは沖縄や鹿児島、熊本、山口などで養殖されたもので、天然ものは愛媛、愛知、大分などで水揚げされています。西日本だけでなく東北の秋田でも天然ものが獲れますので、食べ比べをしてみるのもよいですね。

世界でもエビの消費大国として一二を争う日本。手に入りやすい輸入や養殖のものをいただきつつ、夏の旬には天然もののクルマエビを、季節の恵みに感謝しつついただいてみましょう。

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