MENU

【歴史】日本はいつから始まった?:建国記念日

先週の2月11日は、建国記念日でしたね。ご家庭によっては、今年も国旗を掲揚されたことでしょう。建国記念日は、神武天皇が即位されたとされる紀元前660年(神武天皇元年)の旧暦1月1日を、明治に入り新暦にした日付となっています。昭和23年、GHQの意向で廃止されるまでは、「紀元節」と呼ばれ、1年の中でも大切な祝日の一つでした。

暗記の達人によって書かれた『古事記』

さて、私たちが学校で習う日本史では、この神武天皇を初代天皇とする『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)が最古の「正史」とされていますね。記紀と呼ばれるこの2つの書物の編纂を命じたのは、天智天皇(626-672年)の皇子である大友皇子との帝位争いを制して即位した、弟の天武天皇(?-686年)です。物語の詳細だけでなく、『日本書紀』が海外向けに漢文で編年体(時系列)で書かれているのに対し、『古事記』は日本語に漢字を充てた万葉仮名で紀伝体(どの支配者の時代に何があったという形式)で書かれているという違いがあります。


ところで、「正史」というからには、正史ではない史書もあるのでは?と思いますよね。『古事記』の序文には、この本の成立の経緯がこのように記されています。

(大意)
天武天皇が正しい歴史や伝承・神話を後世に遺すため、稗田阿礼(ひえだのあれ)という記憶力に優れた舎人に誦習させたが、天皇の死後そのままになってしまった。元明天皇の時代に稗田阿礼が記憶していたものを太安万侶(おおのやすまろ)に編纂し、献上するように命じた。

(『古事記』序文)

「誦習」とは、「書物などを繰り返し音読すること」ですから、稗田阿礼は何らかの本を読んでその内容を暗記していたことになります。太安万侶は編集を振り返り、

「上古の時代はことばもその意味も素朴なので、漢字で書き改めるのは難しい。訓読みで書くと漢字の意味がおかしくなるし、音読みで書くと無駄に長くなってしまう。だから音訓を混ぜて書き、分かりにくい部分には注釈をつけることにした」

(『古事記』序文)

と書いています。「訓読み」というのは日本古来のことばを漢字に当てはめた読み方ですから、よむ、かく、ふみ、などの読み書きに関する日本語が既にあったならば、飛鳥・奈良時代以前にも文字の読み書きがされていたと考えるのが自然です。『古事記』の編纂は、稗田阿礼が誦習の命を授かってから少なくとも30年は経っていますから、記憶も曖昧になり、編纂に当たっては何らかの文献を参照したことも考えられるでしょう。

神代文字で書かれた「古史古伝」

「正史」である記紀の元になったと考えられる史書は一般に古史古伝と呼ばれ、実は数多く存在します。代表的なものが『秀真伝』(ホツマツタヱ=真の中の真の言い伝え、の意)という史書で、40篇全編がヲシテ文字という神代文字(じんだいもじ/かみよもじ=日本古来の文字)で書かれています。

あれ、日本には漢字の伝来以前に文字なんてあったの?と思われる方もいるでしょう。日本の「正史」では、日本古来の文字はなかったことになっていますが、伊勢神宮を始めとする全国の神社や旧家に遺る奉文や書籍、ペトログリフ(ご神体や祭祀に使われたと考えられる岩に刻まれた文字)などに、少なく見積もっても30種類以上の独自の文字が現代に遺されているのです。

天照大神=男神?

『ホツマツタヱ』は、昭和41年に古書店で江戸時代の1775年に書かれた写本が全編見つかりました。前半の「天の巻」(1~16アヤ)「地の巻」(17~28アヤ)を神武天皇の右大臣である大物主櫛甕玉命(オオモノヌシクシミカタマノミコト)、後半の「人の巻」(29~40アヤ)を大田田根子(オホタタネコ)が編纂し、景行天皇(ヤマトタケ(ル)の父)の126年に献上されたとあります。神武天皇が実在したとすれば、紀元前7世紀頃から編纂が始まったことになります。

物語の大きな流れは記紀とほぼ同じで天地開闢から始まり、イザナギやイザナミなどおなじみの神々が登場し、神武天皇が初代天皇として国を治め、記紀よりも6世紀ほど遡る71年の景行天皇元年で終わっています。ただ、天照大神は男神のアマテルとして登場し、記紀には登場しない瀬織津姫(セオリツヒメ)と結婚しているなど、内容に相違が見られます。また歴史のみならず、当時のしきたりや習慣、哲学、人と宇宙との関係、ヲシテ文字や大和言葉の成立経緯などが五七調で記述された、壮大な叙事詩となっています。

古史古伝の中には、神武天皇以前にもウガヤフキアエズ王朝が存在し、神武天皇を第73代天皇とする『上記』(うえつふみ)や『九鬼文書』(くかみもんじょ)なども存在し、それらは『ホツマツタヱ』を記したヲシテ文字とは別の豊国文字などで書かれています。しかしながら、これらの文献は公式には「偽書」、神代文字も後世の創作とされ、日本の歴史として学校で学ぶことはありません。伊勢神宮に遺る天皇や武将らによる神代文字の奉文も、岩に刻まれた文字も果たして偽造されたものなのでしょうか。

大化の改新と記紀

記紀の編纂に先立つ7世紀の大化の改新の時代は、帝位を巡って有力者たちが血みどろの抗争を繰り広げていた時代です。ようやく掴んだ皇位の正統性を内外に示し、国内の統一を推し進めるためにも、大和朝廷にとっての「正史」の編纂や、統一された文字の使用が必要であったことは想像に難くありません。

現代であっても、洋の東西を問わず歴史は勝者が作り、書き換えて行くものです。しかしながら、縄文時代の遺跡からイネやクリの栽培、酒造の形跡が認められるなど、調査手法の進歩により、科学的にそれまでの常識が覆される事例も出てきています。時代の移り変わりとともに、歴史の捉え方も変わっていくもの。私たちの先祖がどこから来て、日本の国と文化をどのように創ったのかを決めるのは、私たち一人一人の探求心かもしれませんよ。


▼参考文献・サイト(2021年2月11日参照)
ホツマ物語
伊勢神宮の古代文字 ついに現われた幻の奉納文

日本神話・神社まとめ

【ホツマツタエ】日本最古の歴史書?内容や作者などの謎に迫る
ホツマツタエ考
ホツマツタエ

ウエツフミと古事記

縄文時代の栽培植物
縄文農耕
縄文時代にお酒があったって本当???  

メールマガジン登録

ページ上部へ