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【植物】梅雨明けを告げる花:タチアオイ

「中々に花の姿はよそに見て あふひとまではかけじとぞおもふ」

(建礼門院右京大夫)

訳: 花のように美しいあの方(平維盛)のお姿は私には無縁のものと思い、いつかお逢いする日が来るとまでは願いをかけないようにします。

梅雨の季節、天に向かってすくっと高く伸びた茎に、白やピンクの大輪の花が咲き乱れるのを庭先や街路で見かけることがあるでしょう。姿のとおり、この花はタチアオイといい、梅雨の入りに茎の下から花が咲き上り、空に近いつぼみが花咲くころには梅雨が開けることから、「梅雨葵(つゆあおい)」とも呼ばれます。ムクゲやフヨウと花姿が似ていますが、これらが花木なのに対し、タチアオイは草花になります。

古代から薬草・観賞用に愛されたタチアオイ

タチアオイは、トルコまたは東欧の同種の草花が交雑したものが原産とされており、古くから薬草として利用されるとともに、その花の美しさから観賞用として愛されてきました。イラクにある5万年前のシャニダール洞窟では、ネアンデルタール人の人骨とともに赤いタチアオイなどの花粉が見つかっており、旧人たちがすでに死者を花束で送っていたことを想像させます。

古代エジプトでは、タチアオイの根の抽出物にナツメヤシの実で甘みをつけたものをのどの痛みを和らげる薬として利用しましたが、これがマシュマロの語源になっているそうです。ローマ時代の『博物誌』(77年)には、解毒剤や緩下剤としての利用が具体的に記されており、中国では花や根を煎じて利尿のため生薬(蜀葵、しょっき)として利用されてきました。

和歌:会いたい気持ちをタチアオイに込めて

日本にも、当初は薬草としてもたらされたようですが、花が美しいこと、また「アオイ」=「あふひ(逢う日)」という掛詞として、万葉の時代から好んで和歌に詠われてきました。

「梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きみ)に粟(あは)つぎ、延(は)ふ葛(くず)の、後(のち)も逢はむと、葵(あふひ)花咲く」

(詠み人知らず『万葉集』)

訳: ナシ、ナツメと続くように、あなたに会いたい。クズのつるが延びていったん別れても、その先でつながるように、あなたにまた会いたい。あなたに逢う日は、私の心に花が咲くでしょう。

冒頭の歌に詠われたタチアオイの花とは、美貌で有名な平清盛の嫡孫である平維盛(たいらのこれもり)のことです。維盛が後白河法皇50歳の祝賀で「青海波」を舞うさまは、

「顔の色、おももち、けしき、あたり匂いみち、みる人ただならず、心にくくなつかしきさまは、かざしの桜にぞことならぬ」

(藤原 隆房『安元御賀日記』)

訳:顔色、面持ち、様子があたりに匂い満ちるように美しく、その在り得ない奥ゆかしさと心惹かれるさまは、髪に挿した桜と見まごうほどだった。

といいます。

頂点のタチアオイは梅雨明けの兆し

筆者が、古代より渡来人が治めたという「高麗の郷」(埼玉県日高市)で6月下旬に出会ったタチアオイは、8~9分まで茎を咲き上っていました。花が終わるころには梅雨明けです。

残りの花期、たおやかな茎が風に揺れつつも、咲き乱れる花の重さにもしなだれることなく天に向けて佇むさまに、那智の海に散った美貌の武将の姿が重なるかもしれませんね。

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