10月に出雲に神様が集まる理由とは?
十月(かみなつき) 時雨にあへるもみち葉の 吹かば散りなむ風のまにまに
大伴池主『万葉集』巻8-1590【訳】10月の時雨に打たれて、紅葉が散り行くでしょう。風に吹かれて。
中秋の名月も終わり、早いものでもうすぐ今年も神無月(10月)を迎えます。この「神様がいない月」には、日本中の神様がふだんいる持ち場を留守にして、大国主命(オオクニヌシノミコト)のおられる出雲に集まり、世の中のあらゆるご縁を話し合う「神議(かみはかり)」を開きます。出雲大社は縁結びの神様として有名ですが、男女のご縁もこの会議の議題の一つです。
神々をお迎えする出雲大社では、旧暦10月は逆に「神在月(かみあり月)」と呼び、「神迎祭」「神在祭」をはじめとする、お迎えのための様々な神事(※)を行います。この期間、地元では神議の妨げにならないよう、歌舞音曲を控えて静かに過ごします。
※一連の神事は旧暦に基づいて行われるため、現代では11~12月に行われます。
さて、この「神議」ですが、なぜ出雲で行われるのでしょうか。結論から言えば、はっきりとした理由は「わかっていない」のですが、4つの代表的な考え方があるのだそうです。
1)陰陽説
陰陽道では、「極陰の時、極陰の場所にすべての陽が集まることで世界が再生する」と言われています。そこで、極陰の月に当たる10月に、都から見て極陰の方角(北西)にある出雲に、「すべての陽=すべての神々」が集まることになったというわけです。
2)主祭神の10月統治説
現在、出雲大社の主祭神は大国主命ですが、かつては須佐之男命(スサノオノミコト)とされていたことがありました。
平安初期の『古今和歌集序聞書三流抄』には、姉である天照大神が須佐之男の素行を見かねて、彼を養子とし10月を須佐之男に譲った、という記述があります。
天照大神の代わりに、10月のひと月を治める須佐之男を補佐するために神々が集まってくるということなのかも知れませんね。
3)幽事説
『日本書紀』には、大国主命が天孫族(てんそんぞく=大和王権を築いたとする古代勢力の総称)に出雲の国を譲って、「顕露(けんろ=政治など目に見えること)」を任せる国譲りの話が出てきます。
これにより、大国主命は、ものごとの縁や作物の収穫など「幽事(人智を超えた目に見えないこと)」を司ることになり、すべての神々は、その下知を乞うために10月に命のもとに集うとするものです。
出雲大社は、現在にいたるまでこの考え方を継承しています。
4)イザナミ孝行説
イザナミが10月にお隠れになり、比婆山(ひばやま・島根県安来市)の陵墓から出雲の佐太(さだ)神社に遷座されたことから、10月を「神無月」とするようになり、その法事のために神々が出雲に集まるという中世末頃からの考え方です。
本来、佐太神社の祭神は、大国主の命を救ったとされる佐太大神(サダノオオカミ)ですが、中世~明治まではイザナギ・イザナミが主祭神でした。佐太神社の裏山には、イザナミの墓とされる磐座(いわくら)が鎮座しています。
出雲を舞台にしたアニメ『神在月のこども』
神在月にまつわる4つの説、いかがでしたでしょうか。それぞれに説得力がありますね。
出雲という土地は、調べれば調べるほど奥が深く興味を掻き立てられるところです。古代出雲については、また稿を改めて書いてみたいと思います。2021年10月8日に、出雲を舞台にしたアニメーション『神在月のこども』が公開されます。神在月に相応しい作品と思われますので、ぜひご家族で劇場に足を運び、神々の会議に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
▼参考サイト(2021年9月27日参照)
佐太神社出雲大社の神議(かみはかり)(島根県ホームページ)
なぜ神々は出雲に集うとされているのですか。(島根県立古代出雲歴史博物館)ほか